2011年09月05日

自転車小僧B


最初の大阪までの走破で多くの事を学んだ!


それまで、自転車に乗って隣町まで行ったことがなかった私は、旅立つ前大きな不安を抱いていた。「途中で事故にあったらどうしよう!」「本当に、鈴鹿峠を自転車で越えることができるんだろうか?」「1日に50km以上という距離を走ることができるのだろうか?」未経験によって生じる無知は、大きな不安を掻き立てるものだ。



IMG_0008.jpg



 初日は、40kmぐらいしか走ることができなかった。当然、目標の総経距離には、届いていない。体は、クタクタだった。でも、この時不思議と体は疲れていても、心は満たされていました。自分1人だけで、40kmを走ったという達成感から、「1日40kmも走れるじゃないか!」と思えたのです。自分の中で「やれる」という気持ちが芽生え、「明日は、60kmまで走ろう!」「明後日は、70km走ってやろう!」という思いが湧き上がってきました。


実際に大阪からの帰りは、最終日110kmを走破できるようになっていた。私の心の中で、この「鈴鹿峠走破」を1人で成し遂げたという達成感が、次のチャレンジである、「箱根峠走破!」への自信に繋がっていった。




IMG_0002.jpg




目標を持ち、小さな成功体験を積み上げていく中、達成感を経験することで、「達成感そのもの」が次ぎの目標とやる気を産み出してくれることを私は自転車を通して学んだ。




人間は、目標を達成して感動すると、信号として脳に伝えられる。その後、脳を興奮させるドーパミン<脳内物質>が放出され、充足感や快感が更に増える。また、「達成感」は脳全体を活性化し、脳に長い間、記憶される。だから他の物事と比較して感動した時の思い出は忘れにくい。




つまり、つらいこと、しんどいことがあっても、あの時の感動をもう一度味わおうと次の目標に向かって歩みだそうとする理由がここにあります。達成感を多く味わった人ほど、脳そのものが活性化された機会(回数)が多かったということであり、感動の記憶の数も多くなるということになる。




私自身、日々の生活の中で、ささいなことでいいので「出来た」という小さな達成感を心に留めていきたいと思う。それは、子供達も同じだと考えています。「数学の計算問題ができた。」「社会の都道府県名が全部覚えれた!」「英語の単語が10個書けた。」「順位が10位上がった」その小さな達成感の積み上げが、次の大きな目標を達成させてくれる、明日への原動力になるのではないだろうか。



posted by MORITA at 00:00| 自己紹介 | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

自転車小僧A 




中学生の時、父親に「俺が、富士山を自転車で初登頂した日本人第1号だ!」と聞かされた。最初は、全く信じていなかったが、自転車で富士山に登った時の中日新聞の記事や当時の写真を見せてもらった時に、「本当にやったんだ。俺のオヤジはスゴイ!」と心の底から思った。
 


 
昭和33年の8月、お袋と結婚したばかりなのに、友人達と3人で蒲郡から富士山の5合目までを自転車で登り、そこから山頂まで自転車を担いで山頂まで登ったそうです。私も20歳の時に5合目から登山をしましたが、9合目から山頂までの数百メートは、想像以上の急勾配。たった数百メートルの距離が、ものすごく長く感じられた。その時は、全く何も持たない軽装備の状態。実体験で、手に何も持たなくてあんなにしんどいのであれば、自転車を担いで、富士山を登ることのしんどさは、私の想像を超えるものだった。


中学生までのオヤジのイメージと言えば、毎日夜遅くまで仕事をして「顔」を見たことがないオヤジ。休みの日にも会社で働いているオヤジ。しかし、この話を聞いた時に、「俺のオヤジはすごいことした!俺のオヤジはすごい!」と180度オヤジを見る目が変わった。



IMG_0001.jpg




「蛙の子は、蛙」と言いますが、私は、中学生ながら心の中で、そんなオヤジを越えみたい!否、そんなオヤジに近づきたい!と思うようになっていきました。
でも、オヤジと同じことをしてもつまらない。違うことをしてみたい。だから、高校を卒業すると同時に、自転車で「西の鈴鹿峠・東の箱根峠」を制覇したいという気持ちに駆り立てられ、ペダルを踏み始めてわけです。本当の自分だけの達成感を味わうために!




生徒諸君!最近お父さんとかお母さんとゆっくり話をしたことがありますか。テレビの話とかじゃなくて、勉強の話でもはなくて、お父さんやお母さんの若い頃の思い出を聞いてみてください。お父さんやお母さんが熱中していたことや、旅行の話し、仕事の話しでもいいかな!多分君の知らないお父さんやお母さんに出会えるから。 







以前ブログに掲載した記事を加筆、修正して再記載しました。







posted by MORITA at 09:15| 自己紹介 | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

自転車小僧@


18
歳から21歳の3年間、自転車に夢中になっていた。いわゆる「自転車小僧」だった。高校を卒業してすぐ、18歳の春に、5日間かけて、蒲郡から大阪までの片道200Kmを5日間で往復し、19歳の夏には、蒲郡から東京までの片道300Km6日間で往復した。ちなみに、東京からの帰りは、東京から船に乗り、伊豆大島まで行き、伊豆大島から熱海まで。そこからまた、自転車で箱根峠を越えて帰ってきた。そして、21歳の秋に、蒲郡から琵琶湖1周を自転車で走りぬけた。



IMG_0011.jpg



装備も、回を重ねる度にレベルアップしていった。ハンドルには、フロントバッグ、後輪に二つのリヤバッグを装備し、いざとなった時に、野宿できるように寝袋を積んでいた。実際に、走っていて宿が無いと野宿をしていた。

 大阪に向かう時、国道1号線だったが、歩道橋の下に、ビニールシートを引いて、寝袋で寝ていた時のこと。あるご老人と5歳ぐらいの男の子が散歩をしていたのだろう、その5歳ぐらいの男の子が、歩道橋の下で、寝袋で寝ている私を見つけ、「おじいちゃん!大きなみの虫みたいなのがもぞもぞしているよ」という声で目が覚めた時は、けっこう恥ずかしい思いをした。(笑)


IMG_0006.jpg



なぜ、自転車に夢中になったかというと、目標があったからだ。西の鈴鹿峠、東の箱根峠を自転車で制覇したいという目標だった。小学校の歴史の授業で、「箱根八里は、馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」を聞いたことがあった。江戸時代、この歌が示すように箱根は大井川と並ぶ東海道の2大難所。箱根八里といわれたこの街道のうち、三島市に属する部分は箱根峠から西側。この峠は伊豆と相模の国境であり、峠の小田原側を東坂、三島側を西坂といった。



「東坂・西坂両方から登りたい。江戸時代の人々は、歩いてこの峠を越えていったわけだから、俺は自転車で越えてみたい。そして、箱根峠を越える前に、練習として、鈴鹿峠を越えてみよう」!多分こんな気持ちになっていたんだと思う。





18
歳の時、なんでもよかった、自分の力がどれぐらいあるのか?今まで1度もやったことのないことで、自分の力を何かで試したいという気持ちが自転車に駆り立てた。目標を立て、「自分1人でやった」という今まで味わったことのない達成感を欲していた時だった。



IMG_0012.jpg




以前ブログに掲載した記事を加筆、修正して再記載しました。










posted by MORITA at 09:47| 自己紹介 | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

異邦人





800px-Greyhound_Bus_6080.jpg




1986年の夏

大学4年生だった僕は

単身40日間のアメリカ放浪の旅に出た




大学の友人達は

次々と就職活動をして内定をもらう中

僕だけ一切の就職活動をせず

まるで就職することが他人ごとのように

日本を飛び出してしまった


頭の中は

グレンハウンドバスに乗り

アメリカ1周することしか考えていなかった







IMG.jpgIMG_0005.jpg




サンフランシスコ・ポートランド・ダラス

インディアナポリス・ケンタッキー・アトランタ・エルパソ・ロサンゼルス・ハワイ・・・

着いた町で、その次に行く町を決めるという

あてのない旅



持っているものといえば

大きな登山用のフレームザックと寝袋だけだった



IMG_0007.jpg



最初のサンフランシスコで、「マクドナルド」がつうじず

1時間以上かけて「マック」を探すことになり

自分の英語力の無さを痛感したアメリカ





夜行バスの中

「男性が好きな男性の方」がお座りになり

耳元でささやかれ

恐怖におののいたアメリカ




IMG_0014.jpg





ロサンゼルスの金色に輝く夜景に

夢を抱かしてくれたアメリカ






IMG_0011.jpg






僕にとって始めての異国の地だった





文化・習慣・宗教・全てが異なる環境の中に留まることで

初めて自分は日本人だと感じることができたし

それが

自分の常識や

狭い価値観を蹴り飛ばしてくれた




IMG.jpg




40を過ぎた今も

当時のことを振り返りながら

やはり「出会い」が本当に大切なんだと実感している




異なった価値観をもった人や

異なった経験をされた人




つまり

自分とは違う

異邦人と出会うことで

大きな刺激を受け

今までのちっぽけな価値観や古ぼけた常識が

根底からひっくり返る




まさに

新しい自分に出会えるのだ




だからこそ

これからも

新しい場所

新しい環境に自分から出向いていこう

異邦人との出会いを求めて

僕は動こうと思う









posted by MORITA at 00:00| 自己紹介 | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

ストーン・マウンテン・パーク

IMG_0003.jpg


1990年の冬、僕はアメリカジョージア州アトランタにいた。それまで、続けていた表面処理関係のエンジニアとして勤めていた会社を辞め、学生時代にアメリカ旅行中に知り合った、大工の棟梁のところで仕事を手伝いながら居候していた。

平日は、毎日大工仕事。休みになると、棟梁の自転車を借りて、1人で走っていた。学生時代に、大阪、東京と単独で自転車走破していたのが、こんなところでも役にたった。ある日、アトランタのダウンタウンから16マイル離れた、ストーン・マウンテン・パークに行くことにした。





IMG.jpg


世界最大の花崗岩(251m)でできており、中腹に南北戦争時代に活躍した英雄達が彫られていた。後で、棟梁に聞くと、50年以上の歳月をかけて彫られたそうで、写真では解りにくいのだが、彫られている将軍達の耳の大きさが大人1人分の身長と同じぐらいだと聞いた。


年間400万人が訪れる公園だけあって、敷地内にはテニス場・オートキャンプ場などがあり、列車まで走っている。ふもとで、自転車を駐輪し、30分程度で山頂まで登った。すんなり登ることができたので、山頂からの景色にはあまり期待していなかった。しかし、到着してその景色に圧倒された。



IMG_0002.jpg



山頂から見渡す限り、どこまでも続く森の海。360度全てが、豊かな緑のジュータンに敷き詰められたような森が続く。そして、その森の中に、かすかに見えるアトランタのダウンタウン。この圧倒的な自然の中に身を置くと、人間が創造した人工的なものがなんてなんてちっぽけなものだと感じたし、ましてや、自分の悩みなんて塵に等しいと思った。


当時、自分自身が何を本当にしたいのか?分からず、日本を飛び出してしまった。当時、流行っていた「自分探しの旅」みたいな、少し現実から逃避していた自分がいたような気がする。不思議なものだが、圧倒的な存在に触れたことで、悩みなど吹っ飛んでしまった。


やっぱり、たまには大自然に触れ、錆びた脳に活をいれたいものだ。人生の後半は、日本の世界遺産巡りなんていいんじゃないかなと思っている。・・・・・屋久島行きたいね!


posted by MORITA at 10:40| 自己紹介 | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。